2007年6月10日 (日)

山また山に山廻り

土曜日に国立能楽堂で「山姥」白頭を観ました。
シテは関根祥六師。

この山姥はいわゆる鬼女なのですが、鬼女物といわれる曲の中では少し異質です。能における鬼女は「葵上」「鉄輪」「道成寺」など嫉妬、恨み、執念などのために鬼と化したものが多いのですが、山姥の鬼女はちょっとかわいげがあるんですね。わかりやすく言えばこんな感じでしょうか。

『百万山姥という曲舞で有名な女がいるようだけど、私こそ曲舞で有名だったんだよー、なのに誰も自分のことを気にかけてくれないの。ええいっ! それならば日を暮れさせてこの女曲舞たちを私の庵に泊まらせてしまおう。ねえねえ百万山姥さん、なぜ私のことを気にかけてくれないの?さあ謡いなさい。そして私の舞を見なさい。私こそ本当の山姥よ、本当の山廻りってこういうものよ~』

恐れながらも百万山姥たちはあっけにとられたことでしょう。
厳しい上路越えの旅の途中に、いきなり日が暮れてしまうのですからオロオロしてしまいます。
ネットでいう「かまってちゃん」みたいな鬼女ですね。
ネットの「かまってちゃん」は嫌われますが、この鬼女はどこか憎めないです。
「愛すべきかまってちゃん」と言ったほうがいいかな。

  ・・・ある時は山賤の、
  樵路に通う花の蔭、
  休む重荷に肩を貸し、
  月もろともに山を出で、
  里まで送る折もあり・・・

この詩章からすれば、重い荷物を持った旅人にそっと肩を貸し里まで送ってくれるなど、とても親切な鬼女です。でも鬼女の姿はあくまでも仮の姿であって、普段は人間の目には見えません。山陰にひっそりと佇む霊のようなものと考えてもよいでしょう。
また次の詩章からは違う見方も考えられます。

  ・・・廻り廻りて、輪廻を離れぬ、
  妄執の雲の、塵積もって、山姥となれる・・・

「山姥とは妄執の雲の塵が積もったもの」と言っています。
「妄執の雲」とは何でしょうか。
厳しい山廻りを人間の人生と考えれば、これは迷いながらも生きていかなければならない我々人間の姿と捉えることもできます。
いろいろな捉え方があると思いますが、それは見る人それぞれでよいと思います。

後半部分の迫力のある舞は、山廻りの厳しさを表すと共に、山の精としての神々しさを感じさせるものでした。
後シテの面は「山姥」で、この山姥の能のみに使います。とても品位のある面です。

~「山姥」あらすじ~
山姥の山めぐりの曲舞(くせまい)で有名になった都の遊女が居て、名も百万山姥と呼ばれていた。その遊女が男たちを連れて善光寺へ参る途中、越後の上路(あげろ)の山にかかると、日中なのに急に暗くなった。そこへ中年の女が現れ、自分は実は山姥だが、例の山姥の曲舞が聞きたくて日を暮れさせたのだと言って立ち去る(中入)。夜がふけるとまことの姿の山姥が現れ、遊女の謡う曲舞に合わせて舞った末(<クセ>)、本当の山めぐりのさまを見せ(<立廻リ>)、峰を伝い、谷を駆けて姿を消す(<ノリ地>)。

(注)
クセ(曲):
能の謡事小段の一種。中世の流行芸能である<曲舞くせまい>を取り入れたもので、七五調を基準とした叙事的韻文の楽曲。謡事の中でも長大な部類に属し、一曲の中心部分に位置する。

立廻リ:
舞台上を静かに動きまわる働事。

ノリ地:謡事の小段名。拍子合で、一字を一拍にあて、第一字が第二拍にあたるのを基準とする大ノリの謡による小段。神・鬼畜・精・幽霊など霊体の人物の登場直後や舞事の後などに多い。
―出典:「能・狂言辞典」編集委員・・・西野春雄+羽田昶(平凡社)1992年―

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2007年2月 7日 (水)

壺と標本

美術館や博物館巡りを趣味としている方は多いと思いますが、そういった方達もそれぞれお気に入りの美術館なり博物館があると思います。
私は趣味と言うほど頻繁には行かないのですが、お気に入りは「日本民藝館」と「東京大学総合研究博物館」です。

今、日本民藝館では「日本民藝館創設70周年記念特別展」として、「柳宗悦と丹波古陶」が、東京大学総合研究博物館では「東京大学コレクション――写真家上田義彦のマニエリスム博物誌」が開催されていて久しぶりに見に行って参りました。

Mingeikan1_6 専門的知識は無いのですが、私は古陶磁を鑑賞するのが好きです。その中でも自然釉の壺が特に好きです。人工的に木灰などを塗布したものや多彩な文様を施したものも味わいがありますが、あくまで自然釉にこだわりがあります。古伊万里や鍋島の美しさや華麗さはもちろん素晴らしいと思いますが、それはどちらかと言えば技巧的な美しさという視点で鑑賞しているので、古陶磁の鑑賞と同列には語れないような気が致します。

自然釉の中世の大壺は、形はゆがんでいたりして無骨な感じもしますが、観賞用としてではなく、生活用具として使われていただけに、力強く個性的で味わいのあるものです。じっと眺めて、作られていた当時の時代へ思いを馳せるのも楽しいですね。

Mingeikan2_6

いつか丹波古陶館に行ってみたいです。
図録で見たのですが、丹波篠山の春日神社の能楽殿の舞台下には大甕がいくつも置かれています。このような大甕は、演者が足拍子を踏んだ時の音響効果を調整するものとして他の能楽堂でも甕が置かれているようです。
民芸館の中にも大甕がありますが、あれはかなり大きいです。あのくらいの大きさの甕が置かれているのでしょうか・・・

東京大学総合研究博物館の方も素晴らしかったです。あそこは好きな人は展示が変わるごとに行かれると思うのですが、そもそもあまりこの博物館の存在そのものを知らない人が多いのではないでしょうか。

東大には膨大な学術標本があり、すでに展示企画は21回を数えるそうです。う~ん、もうそんなにやっていたのかって感じ。私はその中の5、6回しか見てませんが・・・
今回の展示は、初めて学術標本をプロの写真家に撮影してもらうという企画です。その写真家とは、現代広告写真界の第一人者、上田義彦さん。

最初「な~んだ、写真なのか、あまり面白くないかな~」と思いつつ中に入ったのですが、最初の写真を見た瞬間、私の間違いを思い知らされました。
「えっ、これって本当に写真なの?いや写真なのかもしれないけど写真じゃないような、もちろん絵画ではないし、何なんだこれは!これはアートとしか表現できない!」

とにかくすごい衝撃でした。アルコール漬けになった生物の標本、大腿骨、古代人の頭蓋骨等々、上田さんが写真に撮ったものをポスターくらいのサイズで展示したものなのですが、その質感たるや驚きのものです。実際の標本もそこには展示されているのですが、両者を比べてみても、同じものを撮影したものだとは到底信じられないほどの表現力。素晴らしいです。

「ムカシトカゲ」のアルコール漬けの写真は特に気に入って絵葉書を買ってしまいました。
アルコールの中では確かに死んでしまっているのですが、写真に撮られたトカゲ君は無邪気に微笑んでいるかのよう。標本のガラスのビンでさえその質感はガラスとは思えないほどの暖かみを感じさせてくれます。アーティストとしてのフォトグラファーの凄さを初めて知りました。

本来、学術研究用の写真は「そのままを写す」という作業だったのでしょうが、これは発想の転換とでも言うのでしょうか。このような企画を考え出した東大の方々の凄さにも驚きました。

ちょっと調べてみたのですが、上田義彦さんって桐島かれんさんのご主人なんですね。作品としては、サントリーのウーロン茶、伊右衛門、無印良品、資生堂などの広告がある人です。

プロの写真家の凄さを思い知らされました。
   

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