2015年8月24日 (月)

「奴隷の平和」も平和なのか?

【あめりかノート】安保法制反対派が語らない「奴隷の平和」
いまの日本では「平和」という言葉が暴力的な効果をも発揮するようである。より正確に述べるならば、「平和」が日本の国民や国家を守ろうとする努力を破壊する政治的武器に使われる、という印象なのだ。

 朝日新聞などが扇動する安保法制関連法案への反対運動での「(同法案成立は)この国を再び戦争に巻き込む」という類の主張が例証である。同法案は平和を崩し、戦争を求めるのだという虚構の非難が放たれる。集団的自衛権解禁への賛成側は平和の敵と断じられる。個々の政治家の片言隻句を軍国主義とか好戦主義と攻撃する乱暴さは暴力的という表現まで連想させる。

 一方、原爆と終戦の8月の日本では平和は国民の心から真に祈られるといえよう。平和の恩恵と戦争の惨禍を語ることは貴重である。だがその種の言葉が「日本の平和主義」という域まで進むとなると、その「平和」を政策として点検することも欠かせなくなる。

 日本でとくに8月に語られる「平和」は単に「戦争のない状態」を指すといえよう。平和の内容が決して論じられないからだ。戦争さえなければ、他国に支配された「奴隷の平和」でもよいのか。自由も人権も民主主義もない平和でもよいのか。

 この点で忘れられないのは40年前、ベトナム戦争の終わりに目撃した「独立と自由より貴いものはない」という民族独立闘争の標語だった。独立や自由のためには平和も犠牲にして戦争をする、という意味のベトナム共産党のホー・チ・ミン主席の言葉だった。

米国の歴代政権が国家安全保障の究極の目標として「自由を伴う平和」と条件をつけるのも同じ趣旨である。オバマ大統領もノーベル平和賞の受賞演説で「平和とは単に軍事衝突がない状態ではなく、個人の固有の権利と尊厳に基づかねばならない」と述べた。

 単に戦争のない状態の平和を守るには絶対に確実な方法がある。外部からの軍事力の威嚇や攻撃にすぐ降伏することだ。相手の要求に従えば、この平和は保たれる。尖閣諸島も中国に提供すれば、戦争の危険は去るわけだ。

 だが安保法制反対派もここまでは語らない。そのかわり戦争には侵略と自衛の区別をつけず、すべて邪悪として排する。日本は現行憲法でも自衛戦争の権利は有しているのに、反対派は日本の自衛のための防衛力や抑止力の整備さえも認めないようなのだ。

 反対派が悪だとする日本の「植民地支配」や「侵略」は米国の対日戦争で除去された。その手段はまさに戦争だった。だから米国は、そして中国も、あの戦争は正当で必要だったと宣言する。オバマ大統領も前記演説で「正義の戦争は存在する」と強調していた。

 8月の米国では対日戦争の勝利が必ず祝われる。日本にとっては悲しいが「原爆投下に神への感謝を」(大手米紙の今年8月5日の論評)という主張さえ出る。どんな戦争も否定しようとする日本の一部の認識が、国際的にいかに異端かがわかるだろう。それでも安保法制法案は自衛ではない戦争はきわめて明確に排している。だが、その趣旨に賛成する側はあたかも平和自体に反対するかのようなぬれぎぬを着せられるのだ。(ワシントン駐在客員特派員)

(2015.08.24 ZAKZAK)

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150824/frn1508240846002-n1.htm

>単に戦争のない状態の平和を守るには絶対に確実な方法がある。
>外部からの軍事力の威嚇や攻撃にすぐ降伏することだ。
>相手の要求に従えば、この平和は保たれる。
>尖閣諸島も中国に提供すれば、戦争の危険は去るわけだ。

「奴隷の平和」とはこういう状態のことをいいます。
自由のない、拘束された平和。これも平和の一つなのでしょうか。
安保法制法案に反対している人たちは、このことに触れるのがよほど都合が悪いのか、絶対に議論しようとはしません。

私は安保法制法案の内容のすべてが正しいとは思いませんが、日本を取り巻く状況を考えれば何もしなくて良いとも思いません。
誰だって戦争は嫌だし平和がいいに決まっています。でも、そう思うだけでは日本の安全と平和が守られなくなっている現実があります。
それ故、「平和を守ろう」「戦争の出来る国になるな」と叫ぶだけではまったく説得力がないのです。

法案反対派の人は、国際紛争の解決策は「外交力」「話し合い」といいますが、本気で言っているとしたら相当頭がお花畑でしょう。現実の国際政治は「外交力」のバックに必ず「軍事力」があります。
「軍事力」を持った上で「でも、使いませんよ」という形が戦争への抑止力になるのです。残念ですがそれが国際政治の冷酷な現実です。

私は、左翼と呼ばれる方々の戦後最大の失敗は、「憲法9条のおかげで戦後70年間平和が守られてきた」と叫ぶだけで、70年もあったににもかかわらず、一般国民に説得力のある主張を展開できなかったことにあると思っています。それは左翼の怠慢ではないでしょうか。
9条があるにも関わらず、なすべきことをしてこなかった。その始末をつけなければならないところまで今追い込まれてしまったのだと思います。もちろん、その責任は日本国民全員にあると思っています。

家では長年朝日新聞をとっています。思想的には私とは相容れないのですが、考えの異なる人たちの論理を知ることは非常に興味深いと思うからです。
しかし、安保法制法案の審議が始まってからの紙面に踊る「平和」「戦争」「徴兵制」等の文字には正直うんざり。
ここのところ社会面、政治面は見出しを読むのも不愉快なので記事はすっ飛ばして医療・健康や経済面くらいしか読んでいません。正直、いつ購読を止めようかと毎日考えています。

朝日の主張も「奴隷の平和」なのでしょうか。
私はそんな平和は選びたくありません。

<関連記事>
「奴隷の平和は選ばない」という覚悟
http://coolminori.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-e531.html

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2013年9月29日 (日)

小泉元首相の『原発ゼロ』発言

小泉元首相「首相決めれば脱原発進む」 渡辺代表に吐露

小泉純一郎元首相とみんなの党の渡辺喜美代表らが27日夜、都内で会食した。同席者によると、小泉氏は「安倍首相には勢いがある。首相が脱原発を決めれば前に進むのに、残念だ」と語るなど、脱原発の話題で盛り上がったという。

 小泉氏は「脱原発は政治がリーダーシップを発揮しないと進まない。自分は数十年後には死んでいて、原発のない日本は見られないかも知れないが、それをするのが本物の政治家だ」と語った。また、今年8月にフィンランドを訪れ、高レベル放射性廃棄物を地下に埋めて10万年かけて無毒化する核廃棄物最終処分場「オンカロ」を視察したことに触れて「フィンランドには原発が4基しかないが、日本には50基もある。いますぐ止めないと最終処理が難しくなる」と即時原発ゼロを訴えた。

 両氏は4時間近く語りあい、渡辺氏は「ものすごく勇気をいただきました」と応じたという。
(2013年9月29日朝日新聞デジタル)
http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201309280378.html

小泉さんは講演会などでさかんに『原発ゼロ』を訴えているようですね。このところ報道されている様々な記事を読むと、小泉さんが脱原発に転じた理由は、大震災の後NHKで放送された「10万年後の安全」というドキュメンタリー番組を見て衝撃を受けたためだそうです。

小泉さんは、総理をお辞めになった後は積極的にバイオ燃料などの施設を見学されたり、講演会でも環境問題に関する持論を展開されたりしていたので、大震災前から環境問題に関心が高いという認識はありました。

また、2009年にロシアを訪問した際、「ロシアもアメリカも無駄な核兵器を持つ必要はない」と、当時のメドベージェフ大統領に直接、核廃絶を迫る発言もしています。
今後小泉さんは、核廃絶と環境問題という困難で大きなテーマに取り組んでいかれるのだろうかと、当時非常に驚いた覚えがあります。

そういったことから、『原発ゼロ』というお考えが、ここ最近になっていきなり出てきたものではなく、何年かにわたってご自身が考えてきたこと(但し、まだ曖昧で不確かだったもの)が、大震災が引き金となってはっきりした形になったのではないかと思われます。

私自身は、いきなり『原発ゼロ』は無理だろうから、少しずつ減らす方向で、安全な原発は再稼働すべきではないかという考えです。
しかし、小泉さんの『今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ』という言葉の意味は理解できます。

日本人は、追い込まれると底力を発揮する民族なので、仮に日本政府が『平成35年には原発をゼロにします』と決断すれば、何としてでもやり遂げてしまうでしょう。

『原発ゼロ』にする過程、そして結果が日本にどのような影響をもたらすのか、それはわかりません。国民に経済的な負担が重くのしかかるかもしれません。そう考えると、私は小泉さんほど思い切った考えはできないのです。

<参考サイト>
毎日新聞:風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男
http://mainichi.jp/opinion/news/20130826ddm003070155000c.html

小泉純一郎元首相が「脱原発」発言を加速する理由とは【争点:エネルギー】
http://www.huffingtonpost.jp/2013/09/28/junichiro_koizumi_n_4010252.html

フィンランドの「核廃棄物」最終処分場を見に行って 小泉元首相がいま思っていること
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36936

小泉元首相がまた安倍批判「汚染水は漏れている!」
http://gendai.net/articles/view/syakai/144799

小泉さんの話題が出ていたので久々に書いてみました。
また、しばらくお休みすると思います。

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2013年6月16日 (日)

投票しなければ意味が無い

津田大介「今はネットの声がちゃんと行政に届く時代」

乙武: ネット選挙解禁といっても、ネットで投票できるようになるわけではありませんよね。では、いったい、どんなことができるようになるんでしょうか?

津田: いろいろありますが、まず候補者が選挙期間中にホームページやブログ、SNSを更新できるようになります。また、動画がOKになったことも大きな変化でしょうね。これまでは映像によるPRといえば政見放送しかなかったわけですが、今後はYouTubeやニコニコ動画などを活用できるんです。

乙武: それは僕ら有権者にとってもありがたいですね。ネット動画なら、いつでも好きな時にチェックできるようになるわけですから。

津田: ただ、ひとつ争点になっているのは、メールです。今回の改正では、立候補者本人以外の有権者による応援メールの発信は禁じられています。「○○候補への投票を、よろしくお願いします」というやつですね。

乙武: それはなぜですか? 候補者本人が「よろしく」とメールするのはOKなのに、周囲の運動員が送るのはNGというのは、いまひとつ腑に落ちないのですが…。

津田: SNSと違ってメールはクローズドなやり取りですからね。「○○に入れてください。△△はこういう悪い噂もありますし…」などと、他の候補者を貶めるようなことがないともかぎりません。それに、細かなルールを熟知していない有権者が、応援候補のために良かれと思って送ったメールが罰則規定に抵触していて逮捕されてしまう…なんてこともあり得るかもしれません。だったら、メールについては当面、候補者本人のみ解禁しようということでしょう。

乙武: なるほど。そうした理由から、「全面解禁」とはならなかったんですね。

津田: なんだかんだいっても、今回はけっこういい形で解禁されたと個人的には思いますよ。民主党政権下で議論されていた時は、「公式サイトやブログはOKだけど、Twitterの更新はNG」などという、わけのわからないものでしたからね(苦笑)。

乙武: それはたしかに中途半端ですね。そもそも津田さんがこうした「ネットと選挙」というテーマに関心を持つようになったのは、何がきっかけだったんですか?

津田: 僕は2006年から2008年まで文化庁・文化審議会の審議委員を務めていたのですが、この際、政策が決まるプロセスに違和感を覚えたことがきっかけなんです。政策って、もっと当事者の声やユーザーの考えが反映されるべきじゃないのか、と。

乙武: たしかに僕らの生活に密接に結びつくような問題であっても、僕らとは切り離されたところで意思決定がなされていることが多い。民意が介在せずに決まる政策では、意味がないですものね。

津田: その後、スタートしたばかりの民主党政権が、記者クラブに属さない記者にも政府主催の記者会見をオープンにするという公約を守らず、猛烈に批判を浴びたことがありました。その時、Twitterユーザーである民主党の藤末健三議員が批判ツイートをすべて印刷し、党の上層部に紙の束を見せながら、一刻も早く記者会見の開放に向けて動くべきだと説得したんです。この時、ネットからでもちゃんと民意が届く時代になったんだなと実感し、それがなんだかとても面白く思えたんです。

乙武: これまでは僕らの声を政治家に届けようとしても、どうすればいいのかいまひとつわからなかった。政治家につてのある人なんて一握りだし、わざわざ事務所に電話をかけるのも、ちょっとハードルが高い。今回のネット選挙解禁もそうですが、有権者と政治家の距離を縮めていくツールとして、今後ますますインターネットの重要性は高まっていきそうですね。
(Yahoo!ニュース-web R25 6月15日(土)7時0分)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130615-00000009-rnijugo-pol

ここに書かれていることは同意できるところが多いのですが、それが成り立つ前提として「ネットが使える人にとって」という条件がつくところが問題です。

そう思うのも、最近、私自身があまりネットを使えない状況になってしまったからです。
以前は細かいニュースまで把握できていたのに、今はネットでニュースをチェックできないと、NHKニュースで報じられている一部の(偏った思想の)ニュースしか見られません。
こういう状況は良くないので本当はネットにUPされているニュースを隅々まで読みたいのですが、物理的に読む時間が無いのです。

新聞は朝日新聞を取っている(自分とは異なる意見を知るため)ので、ネットニュースを見ないと、NHKと朝日新聞という恐ろしく偏ったニュースしか知らないまま時は過ぎていきます。

どんなに時間が無くても何とかネットから情報を得るように努力していますが、以前のように政府にご意見メールを送るなどという積極的な行為はやれなくなってしまいました。

しかし、案外世間一般の人というのはこんなものなのではないでしょうか。
例えば、一番選挙に忠実に行くとされる高齢者や団塊の世代と言われる方々は、積極的にネットから情報発信しているのでしょうか。

もちろん、政治系ブログなどで意見を発信していらっしゃる方もいるとは思います。
また、記事を読むだけのロム専門の方もいらっしゃるでしょう。
しかし、そういう方は割合からいえば、まだまだ少数派ではないでしょうか。

確かに、この記事にあるように、『ネットからでもちゃんと民意が届く時代になった』とは思います。つくづくインターネットがあって良かったと思う時もあります。

しかし、ネットはやらないけれど選挙には確実に行く高齢者の人たちと、逆に、ネット上の発信は積極的だけれど、実際の選挙には行かない若い人たちに分かれてしまっている状態では、政治家がどちらの人たちの意見に耳を傾けるかは明らかでしょう。

せっかくネットで政治家に直接意見を言える時代になったのですから、若者たちはその行動力を実際に投票所に行くという行為に結びつけてほしいと思います。

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2013年6月 9日 (日)

安倍首相VS抵抗勢力

アベノミクス「抵抗勢力」を突破する方法/ドクターZ

アベノミクスの第三の矢がなかなか飛んでこない。第三の矢=成長戦略は甘利明経済財政相の担当分野だが、「あまり」海外の評判がよろしくない。

 海外では成長戦略というと、デレギュレーション(規制緩和)、プライバタイゼーション(民営化)、フリートレード(自由貿易)の3つが主な柱となる。ところが、日本では成長戦略というと、経済産業省の「ターゲット・ポリシー(産業政策)」ばかりが注目される。

 ターゲット・ポリシーが海外で通用しにくいのは、産業選別になるので特定産業への依怙贔屓になるし、そもそも政府に成長産業を選び出す能力はないと考えるのが「常識」だからだ。英語でターゲット・ポリシーのことを説明する際には、わざわざ「ジャパニーズ」と形容詞をつける必要があるとまで揶揄されている。

 また、政府の産業競争力会議で「解雇ルールを合理化・明確化」が打ち出されたが、瞬く間に厚生労働省に消されてしまったのも、失望を呼んでいる。

 もし関係者間で対立があるならば、経営者側に独立取締役の設置などが必要だという議論をぶつけて、労使双方に高いタマでも投げて活発な議論をすればいいものを、そこまでの改革の気概はないようだ。

 安倍晋三首相は、成長戦略として、攻めの農業を掲げている。生産から加工、流通までを担う市場規模を現在の1兆円から「10年間で10兆円に拡大したい」とし、農業・農村全体の農業所得を10年で倍増させることを柱としている。その具体的な方法として、各都道府県に農地の中間的な受け皿機関を創設し、必要資金を貸し付けることによって、農地を集積して生産性を高めるという。

 いかにも役人の考えそうなことだ。受け皿機関の創設は役人主導で行われ、貸し付けは政策金融機関を通じて行うのだろうが、これでは、既得権をぶち壊すまで行かない。

 結局、第三の矢では、既得権を打破できるデレギュレーション、プライバタイゼーション、フリートレードが表に出てこないと、不十分なのだ。そこで、既得権の塊である「自民党内・官僚機構を突破できるのか」との疑問もでてきている。特に難関は、意外なことに担当の甘利経済財政相である。政権内の担当者の間では、「天城越え」ならぬ「甘利越え」できるかどうかがカギになっていると囁かれているのだ。

 安倍首相が、党内「抵抗勢力」を突破するにはどうすればいいのか。それは、アベノミクス「特区」の活用がポイントだ。

 抵抗勢力の行動を考慮すると、全面的な規制緩和はできないだろう。しかし、地域・期間限定で規制緩和を行うのであれば、抵抗勢力も全面反対できないので、アベノミクス特区になるのだ。

 その際、道州制を先取りする形で、許認可権も中央政府から地方に譲渡したらいい。となると、日本維新の会やみんなの党なども国会で安倍政権を応援するだろう。今ある国の地方出先機関を権限、人間、予算ともども、地方に譲渡し、地方の特色で成長戦略をやるのがベストだ。

 そうした上手い仕掛けができれば、後は地方の間で競争させればいい。どの地方を特区に選ぶのかは、安倍首相が高度な政治判断で行うとすればいい。場合によっては、全部認めて、地方独自の「アベノミクス特区競争」に委ねるのもいいだろう。地方の首長をその気にさせて、成果をじっくり待てばいい。そこまで踏み込めるかどうか------世界中が注目している。
『週刊現代』2013年6月15日号より
(Yahoo!ニュース-現代ビジネス6月9日(日)8時5分)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130609-00000001-gendaibiz-pol

第1弾として「働く女性」、第2弾は「農業強化」、さて第3弾は何が来るのかなと期待していたら「民間活力の爆発」ときました。
う~む正直よくわからない。

その爆発の中身が一般医薬品のインターネット販売を原則解禁とか・・・
首相が力を込めて発言しているのを見ると、『こんなことで三本の矢が終わってしまうのか』と正直がっかりしてしまいました。

私でさえがっかりするのですから、金融のプロの方たちが期待外れだと日本株を売るのも仕方ないことです。

では、なぜ安倍首相はこんな中途半端な成長戦略しか打ち出せなかったのでしょうか。
やはり、安倍さんは抵抗勢力と言われる各種団体をバックに当選してきている国会議員(特に今夏の参議院選立候補者)の反対にさからえなかったということなのでしょう。

いつも思うのですが、構造改革というのは、結局最後は首相の決断力にかかっているのです。その決断ができなかったのは安倍さんの弱さなのかもしれません。

農業団体や医療団体といった各種集票マシンの基礎票だけをたよりに選挙を戦っても、一般国民からの票の上積みは全然期待できません。仮にそれで当選できたとしても、次の選挙で何か大きな改革の風が吹いた途端吹き飛ばされてしまう可能性が高いです。

都市部の無党派層を沢山取り込みたいのならば、首相の思い切った決断で抵抗勢力の壁を突破するべきです。

小泉構造改革は批判されることも多いのですが、小泉政権の罪は、改革が間違っていたのではなく、改革が不十分であったことです。
不十分なままの改革は、既得権益を持つものを放置するということ。改革はどこかで終わりということではなく、続けることに意義があります。
安倍首相は参院選挙に勝利したら本気を出して構造改革に取り組んでほしいです。

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2013年4月28日 (日)

安倍さんは「会わない作戦」を貫けるのか

“伝書鳩”使った中国の失敗 「会わない作戦」も通用せず

習近平国家主席ら中国指導部の外交手腕はけっこう拙劣だ。民主党政権時代の過去の「成功体験」にすがり、またもや会談を「する・しない」を外交カードとして繰り出してきたが、もはや日本に通用しない。

 ◆「会わない作戦」

 中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題や閣僚の靖国神社参拝をめぐり、いかに挑発しても動じず「大人の対応」を続ける安倍政権に打つ手がない。そこで、5月初旬に訪中し、習氏や李克強首相らと会う予定だった自民党の高村正彦副総裁に突然「会えない」と伝え、揺さぶりをかけてきた。

 「会う会わないを外交交渉のツールとして使うべきではないし、使われてはならない。われわれは決して(会談を)焦っていない」

 安倍晋三首相は23日の参院予算委員会でこう突き放した。相手に「顔を立てて会ってやった」と恩を着せ、交渉を優位に進めようとするのが中国や北朝鮮の常套(じょうとう)手段であることを、首相は熟知している。

 もっとも、中国がこんな子供だましの手法を多用するのには理由がある。日本では長く、政治家もメディアも、この「会わない作戦」に簡単に動揺し、譲歩を重ねてきたからだ。

 例えば平成22年9月の中国漁船衝突事件で当時の菅直人首相は、同年11月に予定されていた日中首脳会談の中止をほのめかされると「ベタ折れ」(外務省幹部)し、中国人船長を超法規的に釈放した。自民党の丸山和也参院議員によると、当時の仙谷由人官房長官は「(中国への)属国化は今に始まったことではない」と開き直りすらした。

 一方、著書で日中関係の「政経分離の原則」を説いたこともある安倍首相は周囲にこう漏らす。

 「5年、10年(要人の)会談がなくても、それでいいんだよ。日本の経済力が強くなれば問題ない。中国が尖閣問題であれだけめちゃくちゃやると、日本の国民世論も乗せられない。中国は墓穴を掘った」

 ◆底意見透かされ

 もう一つ、政府高官が「中国の失敗だった」と指摘する問題がある。それは、中国の主張を代弁させるメッセンジャー役に、よりによって鳩山由紀夫元首相を使ったことだ。

 「おかげさまで、首相を辞めた後も海外でさまざまな活動をできている。この財産を国益に資するように使わせていただきたい」

 昨年11月の引退記者会見でこう述べた鳩山氏を、中国は今年1月、手ぐすね引いて招聘(しょうへい)し、中国側の意向に沿った「尖閣は係争地」との言葉を引き出した。史実に反する展示が目立つ南京大虐殺記念館では、改めて謝罪もさせた。一見、中国外交の勝利に思える。

 だが、日本国民はしらけていた。在任中に「国というものが何だかよく分からない」と述べていた鳩山氏が、今さら日本の国益を理解できる道理がない。

 「あの鳩山氏がそういうのだから、きっと違う」

 多くの人はこうも直感したはずだ。もう誰もはなも引っかけない鳩山氏を厚遇し、その言動を評価してみせたことで、中国はかえって底意を見透かされたのである。(政治部編集委員 阿比留瑠比)
(Yahoo!ニュース-4月26日(金)12時32分)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130426-00000533-san-pol

この記事を書いたのは、安倍首相の応援団である産経新聞の阿比留さんなので、記事の内容をちょっと割り引いて読む必要があるけれど、書いてあることはほぼその通りだと思います。

大手マスコミでこのような見解を示しているのが産経新聞だけで、他の新聞、特に朝日新聞などはまるで中国の手先であるかのように安倍さんを批判しています。

しかし、小泉元首相の頃から続いている靖国論争も、尖閣・竹島問題の近年の経緯を考えれば、さすがに一般国民の多くが中国、韓国の異様さに気がついてしまったと思います。

紙媒体の新聞は近年売り上げがものすごく減っています。そこに目をつけた中国が日本だけではなく、米国の大手新聞に資金援助も含む様々な働きかけをしているという話も聞きました。

「マスコミは事実のみを報道して一切のコメントはつけない」でほしいというのが私の希望ですが、現実はどんどん逆になっていて、自分たちの願望なのか、依頼主(中国、韓国)の願望なのか、事実とかけ離れた主張を垂れ流しています。
必ず「論議を呼びそうだ」とか「問題になりそうだ」とか書くのですが、それって逆に「問題にしたいだけじゃないの」と思います。

>5年、10年(要人の)会談がなくても、それでいいんだよ。

私もそれでいいと思います。特に韓国に対しては一切無視しても構わないとさえ思います。
安倍さんは覚悟を決めたようですが、ちょっと心配なのはまた途中でへたれてしまわないかということ。
たとえアメリカから圧力がかかったとしても絶対に引いてはいけないと思います。それができないなら、発言や行動には慎重であるべきでしょう。
参院選前は歴史認識問題に関しては慎重な発言をすると思っていたので、最近の強気な安倍さんの発言には少し不安を感じています。

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2013年4月14日 (日)

総理メシと政局分析

毎日、新聞に掲載されている「首相動静」。ここを丹念に読んでいくと我が国の首相が毎日どこで食事をしているのかがわかります。

首相ともなると、警備の都合上大きなホテルのレストランなどを利用することが多いのですが、中には「おや?」と思える小さな居酒屋などに行かれることがあります。
翌日の囲み記事で、実はそこが首相のお気に入りのお店であったことがわかり、テレビニュースで取り上げられることもありますね。

その時は単に面白い話題として終わっていたことも、後々振り返ってみると、その日の会食が政局的に大変重要な節目になっていたことがたびたびありました。

『なぜこの時期にこの店で食事をしたのか』を考えると、その時々の政局における首相の意識の一端を垣間見ることも可能です。
首相動静のほんの数文字の記述から永田町ワールドが広がっていくので、私は小泉首相時代、首相動静の熱心な読者でした。

歴代の首相は激動する政治情勢の中で、どんな店で何を食したのか。そんな興味深い記事が今日の朝日新聞の紙面に載っていました。『あのとき、総理メシ』という記事で、今後日曜日に随時、掲載される予定だそうです。

第1回目は小泉純一郎元総理。取材したのは菊池直己さんという記者さんです。ネット上には冒頭の一部しか掲載されていないので、紙面から少し引用させてもらいます。詳しくは紙面をご覧下さい。

―――(前略)東京・高輪の路地裏にあるラーメン店「壇太(だんた)」。約30年前に高輪で創業し、15年ほど前に現在の場所に移った。6年前に閉鎖した衆院議員宿舎にほど近く、そこに住んでいた小泉氏は移転前からの常連だった。首相在任中も11回、この店に足を運んでいる。
 「外堀、内堀が埋まって、やっと本丸攻めだ」
 2005年1月25日夜、小泉氏は秘書官らを連れて壇太を訪れ、こう漏らした。この4日前、通常国会での施政方針演説で「郵政民営化法案を今国会に提出し、成立を期す」と表明していた。(略)
 その夜の壇太で小泉氏は焼酎を片手に「一議員や大臣じゃダメだ。やっぱり総理大臣じゃなければ」と怪気炎を上げ、にやりと笑って続けた。「勝算はある。なければやらない。でも、まだつぶせると思ってる人がいるんだよな。最後は反対派がどうなるか、だ」(略)
 今年4月初め、記者は小泉首相の秘書官だった小野次郎参院議員と壇太を訪ねた。格子戸を開けるとニンニクのにおいがただよう。
 「小泉総理は突然、『壇太に行きたい』といったものです」小野氏は席に座ると、懐かしそうに店内を見回した。
 小泉氏は来店すると、いつも席に着く前にベルトを緩める。「店長、ギョーザ人数分!」と自ら注文。首相就任前は生ビール、在任中は焼酎のお湯割りが多かった。2時間かけてゆっくり2杯。店主の安達実さん(73)は「みんなと話さなければならないからトイレには行けない。気配りだったのでしょうね」と語る。
 小泉氏は「どうせ待つなら一緒に」と店内に警護官(SP)たちも入れた。焼きたてのギョーザがSPに運ばれるのを見ながら、小泉氏は腕組みして「うんうん」とうなずく。ギョーザを食べ終えると、周囲に「ラーメンおいしいから食べろ」と勧めた。締めはタンメンやしょうゆラーメンで野菜たっぷりのあっさり味を好んだという。小野氏は「いつも気さくで、食事の時間を本当に楽しんでいた」と振り返った。(略)
 首相退任後しばらくしてから小泉氏はふらっと店を訪れ、安達さんに「これ、頼まれていたものです」と色紙を渡した。毛筆で「美味接人」と書かれていた。
 最近は来店しなくなったが、壇太での小泉氏の姿はいまも安達さんの記憶に鮮明に残る。「小泉さんが通い続けてくれたなんて、最高の幸せです」―――
(朝日新聞2013年4月14日(日) 「あのとき、総理メシ」より引用)
http://www.asahi.com/politics/update/0413/TKY201304130272.html

小泉さんが大好きだったギョーザとラーメンが食べたくて、私もお友達と壇太に行ったことがあります。
ギョーザは具の入っている部分はジューシーでプリプリなのに焼き面はパリッとして美味!。しょうゆラーメンはあっさりしているのにコクがあるおいしいスープでした。お店の雰囲気は非常に庶民的で、もしも家の近所にああいうお店があったら常連になるのになあ、と思いましたね。

小野議員がおっしゃっているように、小泉さんは『いつも気さくで、食事の時間を本当に楽しんでいた』というのが報道など見ているとよくわかりました。食事をおいしそうに食べる方って感じいいなあと思います。

歴代首相の食生活を覗いてみたい方にお勧めなのがこちら。非常によくまとめられていて小泉首相の頃は時々利用させてもらいました。首相の好みがわかって面白いですよ。

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2013年4月 7日 (日)

日本には「悪い父さん」が多い

なぜ6時に帰れないのは「悪い父さん」なのか -豊かな質素ライフ「欧州流・幸せ哲学」【3】

どうやらヨーロッパ人にとっては、仕事よりも家族とのごく普通の暮らしのほうが大切なのだ。

 堀内都喜子さんによれば、人間関係が比較的ドライで、ラテン系の人から「冷たい奴ら」といわれるフィンランドの人々も、夕食時や週末は当たり前のように家族と一緒に過ごすという。

 「フィンランド人は、オンとオフの切り替えがはっきりしています。就業時間は仕事に集中しますが、仕事が引けたらまっすぐに家へ帰り、5時ごろには夕食をとります。そのあと、オープンカレッジで勉強したり、地域の活動に参加したりするのです」

 一般にフィンランド企業の勤務時間は朝8時から夕方4時15分まで。その間、30分から45分の昼休みと、10分から15分のコーヒーブレーク(2回)が認められている。そして残業はない。

 実は堀内さんも都内のフィンランド企業に勤めている。終業後、港区のオフィスから編集部を訪ねてきてくれた。

 「残業をするときは会社の特別な許可が必要です。東京のオフィスは別ですが、フィンランドの事業所では4時15分をまわると一斉に帰り支度をします。それなのに6時になっても帰りつかないとしたら、その人は間違いなく『悪いお父さん』。家族に見捨てられます(笑)」

 まるで冗談のようだが、この「常識」はフィンランドだけのものではない。玉村豊男氏がいう。

 「フランスの男たちも7時までには家に帰ります。そして料理を手伝ってから家族で食卓を囲む。これがマストです。イタリア出身のパンツェッタ・ジローラモさんがこぼしていました。『日本のサラリーマンはうらやましい。夕食までに帰れなくても電話1本しなくていいなんて。イタリア人がそんなことをしたら、1回で大ゲンカ、2回で離婚ですよ……』」

 なぜ彼らは、自らに窮屈なルールを課しているのだろうか。

 玉村氏によれば、ヨーロッパ人の少々わざとらしい家族志向は、「個人主義が行き着いた果てに再発見されたもの」。つまり、こういうことだ。

 「ヨーロッパでは200年くらい前に個人がばらばらに食事をするようになりましたが、ふと気づくと、やはり集まってパンを食べたほうがおいしいんです。彼らには、いったん崩れた『家族』をもう1回組み立てるという意識があると思います。だから、無理をしてでも家に帰ってきて一緒に食べているんですよ」

 1度解体の危機に瀕しただけに、ヨーロッパ人は家族の絆の壊れやすさを熟知している。そう考えると、わが身を振り返ってみたくもなるのである。
(Yahoo!ニュース-プレジデント2013年4月6日(土)11時15分)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130406-00009042-president-bus_all

>どうやらヨーロッパ人にとっては、仕事よりも家族とのごく普通の暮らしのほうが大切なのだ。

こういう考えはヨーロッパ人だけではないでしょう。私もこの考えに同意します。
最近特にそう思うのは、残業の多い部署に異動になったからかもしれません。ブログをあまり更新できなくなったのもネットを見る時間が極端に減ったため。書きたい気持ちはあるのだけれど物理的に時間が無いのです。残業代なんかいらないから早く帰りたいのが本音です。

昔から日本人は残業が多いと言われてきました。昔、ある大手スーパーの社長さんが「資源の無い日本は死に物狂いで働き続けなければ国力が維持できない」と長時間残業は当たり前であるかのような意見を言っていました。

本当にそうなのでしょうか。
私はそうだとは思いません。ただ単に長時間労働が習慣になっている企業が多いだけだと考えています。
それは仕事の効率が悪いことや、完全に人員不足であるのに企業が人を雇わないなど色々な原因が考えられます。働きたい若い人がなかなか就職できないのに、一方では死ぬほど残業をしている人がいるなんてどう考えてもおかしいです。

以前、日本人が有給休暇を取れないという記事で、「解決策としては人々の意識を変えることしかない」と書きました。
つまり、意識を変えるというのは、誰かが仕事を休んだらそれを当然の権利として認め、休みの間仕事が滞ることもやむを得ないと考えることです。

ヨーロッパは地域全体にこの意識が浸透しているので、お互いのプライベートな時間を尊重することが当たり前となっているのでしょう。この記事にもあるように長年の間にこのような風土が出来上がったと言えます。

当然ですが、ヨーロッパ人は6時に家に帰るために、仕事時間中は無駄なくものすごく集中して仕事をしていると思います。そもそも、残業をするという考えが無いのですから当たり前ですよね。海外の仕事を経験した上司などに話を聞くと、実際その通りだし、5時過ぎて職場に残っているのは日本人だけだと言っていました。

恐ろしいのは、毎日残業するのが当たり前の部署にいると、段々それが当たり前の日常生活になってしまうこと。今の部署も忙しいのですが、昔もっと忙しい部署にいた時は太陽の光が射している間に帰れたことが無く、たまに昼間用事で外出すると光がまぶしかったものです。こうなるとちょっと異常ですよね。

今の部署はまだ異動したてということもあって、残業の多い理由が客観的にわかります。
日本の職場に多いことですが、仕事の境目が曖昧だということ。これはヨーロッパではありえないと思います。

Aさんの仕事をBさんもやるというのは仕事を頼む側としては便利だけれど、どこからどこまでが自分の仕事なのか曖昧で、必要ないのに二人とも何となく残業しているという状態。ヨーロッパ人だったら「それはAさんの仕事だから私は帰ります」で終わりでしょう。又は、Aさんに残業させないために上司が仕事の分担を変えるとか、もう一人人を雇うか考えなければならないです。私に口を出す権利は無いけれど、日本の職場はすごく無駄が多いと思います。

日本人の休暇、余暇意識を変えるには、まずはこうした個々の職場の意識を変えることから始めなければならないでしょう。そこで一番責任を負うのは経営者や上司です。彼らが率先して意識改革をし、仕事の効率化を考えなければいつまでたっても日本人は「悪い父さん」のままですよ。

~関連記事~
休みたいけど休めない日本人
http://coolminori.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-5fd1.html

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2013年3月15日 (金)

サムスンの独り勝ちは長くは続かない

韓国で独り勝ちのサムスン「韓国人の反発強い」と慶大教授

韓国のGDP(国内総生産)の2割以上を稼ぎ出すのがサムスングループだ。韓国経済の“躍進”を牽引したサムスンもまた、内憂外患の苦しみを抱えている。サムスンが韓国国内で意外なほど嫌われ者だと解説するのは柳町功・慶應義塾大学総合政策学部教授(経営学)だ。

「サムスンは数字の上では韓国経済に大きく貢献しているが、国内の雇用ではごく一握りのサムスン社員を除けば、待遇のよくない下請け、中小企業の比重が大きい。多くの国民は自分たちが恩恵を享受できない中でサムスンが独り勝ちしていると感じていて、反発が強い。

 だから労働災害などの問題が表面化すると、世論は反サムスンで激しく燃え上がる。生産強化を猛スピードで進めた結果、サムスンは従業員の安全対策で不十分な点も少なくないので、裁判に発展するケースも多い」

 2011年にサムスン電子の半導体工場の従業員に白血病が相次ぎ、裁判所が工場勤務との因果関係を認める判決を下して大問題となったが、中間層以下はそうしたきっかけさえあれば猛烈なサムスン叩きに走り出す状況なのだ。

 国内で反感が強まる一方、国外でのビジネスも難関が待ち受ける。ウォン高による影響に加え、サムスンは今、収益構造の抜本的変革を迫られている。世界各国でアップルと特許侵害訴訟を繰り広げ、その影響からかアップルはiPhoneなど主要商品の部品調達先からサムスンを外す動きを見せており、サムスンの半導体売上高は2013年に大きく減るとされる。部品供給メーカーとしての比重が減り、機器メーカーとして勝負しなければならなくなるわけだ。

「これまでのサムスンにはクリエイティブな力はなかった。テレビもスマホもタブレットも、サムスンが創造した市場ではない。日本やその他の国のメーカーが作り出した市場に後発で入り、ダイナミックな投資で競争に勝ってきた。しかし、これからは自らが新しいものを生み出さなくてはならない。応用研究に比べ基礎研究が弱いという問題意識は内部にもあるものの、解決策はまだ見えてこない」(柳町氏)

 グループ中核企業のサムスン電子は昨年も過去最高益を大きく更新したが、内外に潜む問題が表面化すれば、我が世の春は長くは続かない。
(Yahoo!ニュース-NEWS ポストセブンSAPIO2013年4月号3月10日(日)17時46分)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130310-00000014-pseven-kr

韓国の問題はこの記事の最後の部分、
「これまでのサムスンにはクリエイティブな力はなかった。テレビもスマホもタブレットも、サムスンが創造した市場ではない。日本やその他の国のメーカーが作り出した市場に後発で入り、ダイナミックな投資で競争に勝ってきた。しかし、これからは自らが新しいものを生み出さなくてはならない。応用研究に比べ基礎研究が弱いという問題意識は内部にもあるものの、解決策はまだ見えてこない」
というところに尽きると思います。

特に、アナログからデジタルの世界になってからは技術のコピーが容易になったので、先端技術の応用が昔に比べて簡単になったからだと思います。
日本も昔は欧米製品の模倣を行っていた時代がありましたが、アナログの時代だったために現在のサムスン程のスピードで市場を制することができませんでした。

また、日本企業がサムスンと決定的に違うのは、匠の技術を持っているところではないでしょうか。欧米の技術を模倣するだけではなく、さらに良い製品へと向上させていったことが世界中で日本製品が売れた理由だったと思います。しかし、今ではそうした日本の高度な技術が逆に悪い面として表れています。

例えば、テレビなどの家電製品は、特殊な機能がたくさんついているものよりも今では価格が安いことが第一となってしまったために、韓国や中国の企業でも簡単に作れるようになって、日本企業の高機能だけれど価格の高い製品は売れなくなってしまいました。

しかし、自動車は違います。簡単に技術をコピーできる部分もありますが、匠の技術を要求される非常に高度で繊細な部分が多く残されています。それは基礎研究が弱ければできないものであり、ロケット技術も同じでしょう。

そういうレベルの分野では、やはり韓国企業に比べて日本は強いです。科学分野のノーベル賞受賞者が中国や韓国にいないことを見てもそれが証明されます。
手っ取り早く国を発展させることをあまりにも重視したために、他国の技術をコピーすることと国を挙げてサムスンなど一部の財閥企業に莫大な資金を投入することを第一とし、地道な基礎研究を後回しにしてきたからです。
また、結果を早く求めるあまり地味な研究をする科学者を尊敬しないお国柄も影響しているのかもしれません。
韓国はこういった社会の構造を変えない限り、サムスンの独り勝ちが続くとは思えないのです。

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2013年3月13日 (水)

NHKと国会中継

NHK国会中継ユーチューブ動画が突然削除  「著作権侵害になるのか」と疑問相次ぐ

慰安婦の強制連行は考えにくいと、国会で野党議員が主張したことは、2ちゃんねるなどで大きな反響を呼んだ。ところが、その中継のユーチューブ投稿動画がNHKの著作権侵害申し立てで削除され、なぜなのかと物議を醸している。

 削除された動画は、元文科相で現在は日本維新の会所属の中山成彬議員が2013年3月8日の衆院予算委員会で質問に立った場面だ。

■慰安婦連行に否定的な国会質問で波紋

 中山氏は、1時間の持ち時間内で、新聞報道を元に従軍慰安婦問題にも切り込んだ。旧日本軍の関与を示す資料が見つかったと大きく報じた日本の新聞記事をパネル上に示し、それはよく読むと、悪徳業者が募集に関与していると注意を呼びかける通達だったと主張した。また、朝鮮の議員の8割以上が現地の人であるとの記事も示して、「官憲の強制連行は考えられないのでは」と唱えたのだ。

 この主張は、ネット右翼などの支持を集め、2ちゃんでは、スレッドが次々に立つ祭り状態になっている。

 ユーチューブには、NHKの中継を録画した動画が投稿され、アクセスを集めた。ところが、その動画がNHKによる著作権侵害の申し立てにより削除され、2ちゃんなどでは、国会中継の動画でもそうなるのかと波紋が広がった。

 確かに、衆議院公式ホームページの中継サイトでも録画は見られるが、「こんな公共放送で大丈夫か?」「知る権利より著作権が優先されるんだ」との不満が相次いでいる。内容が慰安婦問題だっただけに、どこかの団体から要請があったのではないかといった憶測まで出ている状態だ。

 2ちゃんスレでは、著作権法上も国会中継動画の削除はおかしいのではないかという指摘があった。第10条の2では、事実の伝達に過ぎない雑報や時事報道は著作物に該当しないとあり、また、第40条では、政治演説はいずれの方法でも利用できるとされているからだ。

 こうした点について、立教大学の上野達弘教授(著作権法)は次のように解説する。
NHK「これまでも削除を要請しています」
 「10条にある『雑報』とは、10~20文字ほどの短い死亡記事などをイメージしています。国会中継は長い時間にわたって撮影していますから、それを適用するのは難しいでしょう。また、40条では、確かに、政治演説は広く知られた方がよいということから、自由に利用できることになっています。しかし、それは演説している人の著作権が制約されるということであって、NHKは演説している本人ではなく別の人格になります。とすると、NHKは著作権を主張できることにもなるわけです」

 つまり、国会中継を無断で投稿すれば、著作権侵害になる恐れがあるということだ。

 ただ、上野達弘教授は、法的には難しいものの、ドラマや音楽番組とは違い、国会中継は広く国民に知られた方がいいという主張ももっともだとする。

  「ユーチューブに投稿した人はそれで大きな利益を得るわけではないですし、NHKにしても収入が減ることにはなりません。今回は、公共性が高い国会中継ですので、自由に使わせてもいいのではというのも分かります。投稿でかえって音楽が売れたこともあるわけですし、ネットに上がったコンテンツをどうするかは、将来の課題になるでしょうね」

 NHKの広報局では、取材に対し、「放送した映像が無断でアップされているのを見つけたり、指摘を受けたりした場合、国会中継に限らず削除を要請しています」と説明した。国会中継については、「これまでも削除を要請しており、実際に削除されています」とした。

 2ちゃんでは、過去のケースとして、自民党の西田昌司議員が2011年11月15日の参院予算委員会で質問した中継動画が、NHKの著作権侵害申し立てで削除されたことが挙げられている。しかし、国会中継が削除されるのはまれではないか、と依然として疑念がくすぶっているようだ。
(Yahoo!ニュース- J-CASTニュース3月12日(火)20時50分)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130312-00000010-jct-soci&p=2

気がついている人はとっくに気がついていますが、NHKは昔から自虐史観に染まっており、また、特にそれが韓国に絡む問題である場合は平気で今回のようなことをやります。
近年では、2009年11月5日(木)の衆議院予算委員会の中継を行わなかったことが良い例です。

当時、民主党の山岡賢次国対委員長は、外国人参政権法案の提出を検討しており、法案成立のため国会の会期延長を検討していました。
(今思い出しても恐ろしい話です。民主党政権が終わって本当によかった!)

そこで、11月5日は当時野党の自民党の稲田朋美議員(現内閣府特命担当大臣)がこの法案の危険性について質問に立ちました。他にもその日は下村博文議員(現文部科学大臣)が「日教組問題」など政府、民主党の国家観について問いただすため集中審議したのです。

ところが、なぜかその日はNHKの国会中継は行われませんでした。
通常、総理大臣以下全閣僚が出席する予算委員会の場合、連続した日程のうち一日だけ中継しないなどということはよほどの理由が無い限りありえません。

例えば、三日間の審議日程がある場合は三日間ともTV中継があるのが普通です。
当時の予算委員会審議日程は、11月4日と5日が衆議院、6日が参議院でした。
11月4日と11月6日のNHK中継は当たり前のようにありましたので、5日の審議中継だけを外したのは意図的に外したと言えます。

当然、「なぜ中継しなかったんだ!」とNHKへ電凸した人も多かったようですが、NHKはことごとくスルーしたようです。
この日の動画は以下のところ辺りでみることができますが、今後NHKの動向には注意する必要があります。
http://www.youtube.com/watch?v=yng8l0jyPdc

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2013年3月 3日 (日)

婚外子の相続規定は違憲か合憲か

婚外子の相続―違憲の判断をするとき

最高裁もついに腹を固めた。そんなふうに見て間違いないのではないか。

 夫以外の男性、または妻以外の女性との間にうまれた子(婚外子)が相続できる財産は、正式な結婚をしている男女の間の子の半分とする――。

 この民法の定めが、法の下の平等を保障する憲法に反するか否かが争われている裁判の審理が、大法廷に回付された。

 すべての裁判官が参加し、判例を変更するときに必要な手続きだ。これまでの合憲判断が見直される可能性が高い。

 「半分」の取りきめは、法律婚を尊重し保護する合理的な措置として認められてきた。

 だが夫婦や家族のあり方も、人びとの意識も多様になり、ひとつの「あるべき姿」を唱えていればすむ時代ではない。

 本人には何の責任もない出生の経緯を理由に、婚外子を差別し続けることが許されるのか。

 憲法違反の結論が導きだされて当然といえよう。

 一方で、判例変更が新たな問題を引きおこす可能性もある。

 今回の裁判の対象は2001年の相続だ。「遅くともその時点では違憲だった」とされた場合、ではいつから違憲だったのか。それ以降の婚外子が絡んだ相続の扱いはどうなるのか。やり直しを求める動きが各地で起きる事態にもなりかねない。

 もちろん、混乱が予想されるからといって違憲判断から逃げるのは本末転倒だ。平等原則をしっかり踏まえ、かつ世の中のトラブルを少しでも抑えられるような考えを示せるか、審理のゆくえに注目したい。

 あらためて思うのは、政治の側の問題意識の低さである。

 法制審議会は96年、「相続は同等とする」という答申を出した。しかしその中に、夫婦が望めばそれぞれの姓を名のれる別姓制度の創設が盛りこまれたこともあって保守層が反発し、歴代政権は改正法案を国会に提出することすらしなかった。

 法律であれば、いつから「同等」とするのか基準を明示し、経過規定を設けるなどして、さまざまな不都合を避ける工夫が可能だった。この問題をめぐって最高裁が出した合憲の判決や決定の中で、立法による解決をうながす意見を表明した裁判官もたくさんいた。なのに、国会は動かなかった。

 この大法廷回付は、国連の勧告も無視し続けた、先見性を欠く立法府に対し、司法が「もはや放っておけない」と判断したと位置づけることができる。

 民法の問題にとどまらない、深い病根を見る思いがする。
(朝日新聞2013年3月3日(日)社説)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_gnavi

非嫡出子の相続分規定は、死刑制度の存廃問題と共に昔から議論されてきましたね。法律家や大学の法学部の先生の中にもこの規定の見直し論者は大勢います。それでも過去最高裁で合憲とされてきた一番の論拠は「法律婚の尊重」という一点に尽きると思います。

もしも、これを見直すことになれば法律に基づく婚姻制度そのものの意味が問われます。
また、この問題は死刑制度と同じで一つの論点に表と裏があり、どちらか一方だけを尊重するわけにいかないところが難しいです。

例えば、見直し論者の方々が真っ先に挙げるのは「非嫡出子自身に責任はない」ということですが、親を選べなかったという意味では「嫡出子自身にも責任はない」ことになります。

また、法律婚をしているある夫婦の夫に愛人がいてその愛人との間に子供が生れたとします。そして、父親がその子を認知した後その子を連れて離婚し、全く別の女性と正式に婚姻し子供が生れたとします。この場合、その父親には先に生まれた非嫡出子と嫡出子がいる状態になります。
この事例で「法律婚の尊重」を考えると、おかしなことになります。最初の妻との間においては、愛人との間の子供は不貞行為の結果生まれた子ということで、嫡出子の立場を尊重する法律は合理的な理由があると言えますが、二番目の妻との婚姻関係においては、その子は単なる男性の連れ子にすぎず、「法律婚の尊重」に結びつきません。

法律家の方々は「法律婚の尊重」だの「法の下の平等」だの憲法上の難しい議論をしていますが、現実問題としては民法の規定「非嫡出子の相続分が嫡出子の半分である」つまり、「嫡出子の半分しか財産を分けてもらえない」ことをどうするのかという点にあります。それならば、解決方法も現実的に考えれば良いのではないでしょうか。

例えば、問題になっている民法900条四号ただし書前段の規定は違憲とし削除した上で、民法1028条に定められている遺留分(非嫡出子は嫡出子の2分の1)の規定はそのままにしておくというのはどうでしょうか。

「900条と1028条はワンセットだからこれも違憲だ」と言われてしまいそうですが、法律婚の尊重と配偶者(特に正妻)の立場を尊重するならば、遺言がある場合に限り嫡出子がより尊重される道を一つくらい残しておくのはやむを得ないと思うのですが。

遺留分と遺言の関係は結構重要だと思うんですよね。
例えば、子供のいない夫婦で、夫が亡くなり妻が残された場合(逆もあり)、夫に兄弟姉妹がいれば彼らも相続人になります。しかし、兄弟姉妹には遺留分が無いため、「妻に全財産を相続させる」旨の遺言があればその通りになります。
但し、遺言書が無い場合は民法900条の規定通り相続財産の4分の1が兄弟姉妹にいくので、子供のいない夫婦はお互いに財産を残す旨の遺言書を書くことが重要なのです。

上記の事例にもあるように、残された妻が遺言によって守られるのですから、被相続人が正妻と嫡出子に、より多くの財産を残したければ遺言を残せば良いのです。但し、遺言が無ければ嫡出子と非嫡出子の相続額は平等になるので、現実問題としてはこの辺りでバランスをとるしかないのかなあと思うのです。

逆に、非嫡出子に嫡出子と同等の財産を分けたいのであれば、単に遺言でその旨書けば済む話だともいえます。これだと民法を変える必要はありませんが、非嫡出子が差別的だという規定は残ります。

もう一つ問題なのは財産に関する考え方です。
一般的には、夫婦の財産は婚姻中に協力して築いたものという意識がありますから、夫が死に、その愛人の子に嫡出子と同じ相続の権利を与えるというのは、正妻の立場としては自分の財産の一部を取られるような気持ちになると思います。嫡出子と非嫡出子の法の下の平等を正妻の立場より優先させて良いのだろうかという問題です。

日本では、非嫡出子を相続において平等に扱うことに対しまだまだ反対論が根強いようですね。これは外国に比べて非嫡出子の割合が非常に少ないからではないでしょうか。憲法を持ち出して「法の下の平等」を主張するのは一見正論のようですが、法律婚の妻や嫡出子の心情を考えるとそれだけでは割り切れないものがあります。

何だかごちゃごちゃ書いてきてまとまりが無くなってしまいましたが、要は非嫡出子の名誉のためには法の下の平等を尊重するべきで判例変更をする必要があるけれど、現実問題としては遺言書で嫡出子と平等の財産を分け与えることは可能なので、そちらを尊重するなら判例変更をする必要は無いということです。

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