2010年10月11日 (月)

てにをは辞典

Teniwohajiten書 名:てにをは辞典
編 者:小内 一
出版者:㈱三省堂
発行日:2010年9月17日

文章のプロでもない素人が、こうしたブログを書くということは、ある意味ものすごい恥を晒していることになります。話の内容もまとまりが無く、その上助詞、形容詞、副詞などの使い方も適当です。それを不特定多数の人たちに公開しているのですから、なんという恐れ知らずの私・・・

そんな私でも、『ここは「が」を使うのか、それとも「は」が正しいのか?』と、しばし考え込んでしまう時があります。大抵の場合は直感でどちらかに決めてしまうのですが、結局どちらが正しかったのかわからずじまい。他の言い回しや表現を思いつくことができないのも情けないです。

一番の原因は、本を沢山読んでいる方には自然と身についている文章力が無いことです。そんな情けない私に、力強い助っ人が現れました。それは「てにをは辞典」です。

編者の小内一さんという方は、長年校正のお仕事をされてきた方で、「より適切な言葉を選びたい、表現を工夫したい」と思った時に役立つようにと、二十年の歳月をかけて小説等から延べ六十万個の「結合語」を採集してきました。

ここでいう「結合語」とは、二つ以上の言葉が結び付いて使われる言葉の形をいいます。
本書の凡例によれば以下の通りです。
「空が晴れる」という語は、「空」と「晴れる」が、助詞「が」を介して結びついています。このように結びついた語を本書では「結合語」と呼びます。

「空」という語を引いてみると、そこには夥しい結合語が載っています。
例えば「が」を使う場合。
「青い」「明るむ」「怪しくなる」「荒れ模様」「美しい」・・・あたりは割とよく使いますが、「赤くおぼろげに燃える」「薔薇色に暮れていく」「夜の色を深める」あたりになると文学的ですよね。
「を」を使う場合はこんな感じ。
「仰ぎ見る」「焦がすような火」「突き刺している山々」・・・

よくこんなに集めたものだと感心してしまうくらいたくさんの結合語が載っています。これは辞書というより一つの文学書のような感じ。眺めているだけでも楽しいです。

ちなみに、「すごい」と「すごく」の違いはわかりますか?

「すごい威力」「すごい美人」「効き目がすごい」・・・
「すごく痛む」「すごくおいしい」「すごく気になる」・・・

同じように見えても使い方は全然違うのですね。
より適切な言葉を選びたいと思っていらっしゃる方には頼りになる辞典です。

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2010年5月29日 (土)

危機の時代のリーダー論

Shiono1書 名:日本人へ リーダー篇
    (文春新書)
著 者:塩野七生
出版社:文藝春秋
発行日:2010年5月20日

この本は塩野七生氏の文藝春秋2003年6月号~2006年9月号の連載が新書化されたものです。今改めて読んでみると国のあり方やリーダーの資質について考えさせられます。

~以下、本文より引用~

■ 私個人は小泉首相とは何の関係もないが、彼の続投が、今の日本にとっては最善の策であるとは思っている。人を代えようと、奇跡が起るわけではない。誰が最高責任者になろうと、やらねばならないことはもはやはっきりしている。ならば、政策の継続性を保持するためだけでも、政権交代は避けた方がよいと思うのだ。政策のちがいはあると言う人がいるが、私にはそれは、何を優先するかのちがいにすぎないように思える。何を優先するかを議論して、またも十年を空費するのだろうか。
(「継続は力なり」より)

■ 危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢見るのであろうか。だがこれは、夢であって現実ではない。
(「継続は力なり」より)

■ 重要な問題ほど、単純化して、有権者一人一人が常識に基づいて判断を下す必要がある。なぜなら一人一人の生活にひびいてくるからで、そのような大事を、専門家と称する人種の、何を言いたいのかわからない言論プレーにまかせてはならないと思う。もしも日本人も、問題を単純化したうえで常識に基づいて判断を下すならば、日本の有権者も成熟したことの証拠になり、民主主義も、借りものなどと恐縮する必要もなくなるだろう。
(「問題の単純化という才能」より)

■ 私があなたに求めることはただ一つ、刀折れ矢尽き、満身創痍になるまで責務を果たしつづけ、その後で初めて、今はまだ若造でしかない次の次の世代にバトンタッチして、政治家としての命を終えて下さることなのです。
 ブオナ・フォルトゥーナ、ミスター・コイズミ
 (「拝啓 小泉純一郎様」より)
引用ここまで

この連載が書かれていた時期が丁度小泉政権時代と重なっていたこともあり、小泉純一郎氏や郵政民営化のことが随所に記述されています。あれから4年、この国はすっかり変わってしまったように見えます。迷走する鳩山政権や郵政民営化を逆行させる動きについて塩野氏の思いを伺ってみたいものです。

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2009年8月10日 (月)

ムダヅモ無き改革2

Mudadumo2本日入手。
表紙カッコイイわぁshine
:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆。・:*:・°

一巻目は予約したのになかなか入手するまで時間がかかってしまったのですが、今回はスムーズでした。

帯に「アニメ化決定」って書いてあるのですが本当?
本当だったら絶対見ます!
って私、麻雀のこと全然わからないんですけどね。

でも大丈夫。
ずっと以前から読んでるけど、麻雀のことわからなくても十分楽しめます。
逆に麻雀がわかる人が読んだらどうなのかな?ちょっと知りたい。

それと本物のジュンイチロー氏に見せて感想を聞いてみたいですね。

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2008年11月15日 (土)

小泉外交と歴史的役割

最近、ある雑誌で防衛大学校長の五百旗頭真氏が日本外交について書かれた文を読みました。五百旗頭氏といって今でも思い出すのは小泉内閣メールマガジンです。

小泉首相の強い希望によって防衛大学校長に指名された五百旗頭氏でしたが、その首相のメールマガジンに靖国参拝の批判やイラク戦争支持への憂慮を表明する文章を寄稿してちょっとした話題になりました。

当時小泉首相は、「いいと思う。言論の自由だから。人によってさまざまな見方がある。自由に寄稿してください」とマスコミが煽ろうとするのを一向に気にかけない様子でした。

五百旗頭氏は小泉首相のアジア外交については憂慮していた反面、日米関係については高く評価しており、右からも左からも批判される方だと思います。雪斎先生のおっしゃる「フクロウ派」の論客といったらいいでしょうか。タカ派やハト派が極論に走りがちであることに対して、柔軟性が高く、現実的な判断力を持った方だと思います。

メールマガジンへの特別寄稿から約2年、あれから安倍、福田、麻生とめまぐるしく内閣が変わりました。今五百旗頭氏の文章を読むと、改めて小泉外交に高い評価を与えているのがわかります。全文を紹介することはできませんので、小泉外交に触れている箇所を引用させていただきます。全文をお読みになりたい方は『外交フォーラム2008年12月号』をお読み下さい。

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小泉首相の9・11への対応は見事でした。あのテロは日本にとっての危険でもあり、また日米同盟にとっても大きな試練だった。しかし小泉さんはテロの二週間後にグラウンド・ゼロに立って、「われわれはアメリカとともにある」と言い切り、信頼関係をしっかりつなぎとめた。その後のテロ特措法、イラク特措法を作ってテロとの戦いに参加することで、日米同盟をアップグレードしたわけです。アーミテージ国務副長官が「北朝鮮による日本へのいかなる攻撃も、アメリカに対する攻撃と同じである」と明示的に拡大抑止を声明したことはその証であり、そのような信頼関係があったから、日本は北朝鮮の度重なる脅しにも比較的冷静に対応できたのだと思います。
 イラク戦争については私もいろいろと厳しい意見を述べてきました。(中略)
私は、日本がアメリカのイラク開戦の決定を「理解し、そして尊重」するべきだが、「支持する」と言ってはいけないと思いました。「支持する」というのは「私もご一緒しましょう」ということにつながる。不幸な行軍にご一緒するのはつつしんで、若干の距離を持ったほうがいい、後方支援やイラクの復興支援でがんばるに留めるべきだと考えました。
 しかし、いま振り返ってみれば小泉総理のイラク戦争に対する手綱裁きはなかなか見事だったといわざるを得ないでしょう。第一に、ブッシュ大統領に向かって国連を通じての合意形成を強く促しました。二〇〇二年九月の首脳会談で、アメリカ単独のイラク戦争というのではなく、国連のオーソライズを得て、国際社会とイラクとの戦いという形に持っていくべきだと主張された。(中略)小泉総理なりに戦争の正当性を確保しようと努力したわけです。そのプロセスを経て、同盟国のアメリカが開戦を決めた以上、潔くこれを支持すると言い切ったわけです。やみくもな追従ではない。
 第二に、自衛隊をサマーワに派遣しましたが、これがよい仕事をやり遂げました。派遣に至る議論には、かなりあやしいところがあった。首相は「自衛隊がいるところが非戦闘地域だ」とぬけぬけと言ってしまう。私はそれは「白馬、馬にあらず」の理屈だと感じましたが、しかし政治的・軍事的に、サマーワが比較的安全な地域であったことは間違いない。この政府の選定は的確だった。(中略)
 そして第三に、撤退が鮮やかでした。撤退というのは出兵よりもずっと難しい。しかし小泉さんは、何か悲劇的な事件が起きる前に、しかもアメリカから感謝されるような形で撤退させた。これは見事というほかないでしょう。このような点で、小泉内閣のマネジメントは、例外的なほどに巧みなものでした。
 アメリカとの関係をあれだけ高めたのに反して、アジア外交、特に対中外交は、靖国原理主義で相当に傷つけてしまった。(中略)
 靖国問題を現在の関係を行き詰らせる仕方でしか使うことができなかったのか。私はその点、非情に残念な気がしています。(中略)
 小泉外交は、意図的か結果的にそうなったのかわかりませんが、靖国に断固行くと言ったら行くわけですから、歴史問題をふりかざしさえしたら日本は何でも言うこをを聞くんだという中国側の認識を改めさせたところはありますね。小泉首相の意地っ張りが効いています。その後は、やはり日本の言ったことを聞くべきところは聞き、受け入れなくてはならないという姿勢になってきた。そのおかげで、安倍政権は靖国に行くとも行かないとも言わないというだけで、首脳会談ができたわけです。(中略)安倍さんも自分の歴史的役割を十分に認識しており、そこがはっきりしていれば、個人の信条は問題ではないということです。中国らしいリアリズムだと思いました。(以下略)

『外交フォーラム――2008年12月号』(都市出版)「アメリカとアジア 共鳴する二つのアリーナと日本外交」 防衛大学校長 五百旗頭真 より引用
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こうして読んでみると、五百旗頭氏は小泉首相の靖国参拝に反対だとは言っていません。むしろ、小泉さんがあそこまで意地を張ったおかげで中国側の認識が改まったと言っています。

靖国参拝を中心とした歴史認識については、日中双方単なる外交カードに過ぎないとわかっている人は多かった。しかし、それを一方的に中国側のカードとして使われ続けてきたのは、その費用対効果が抜群によかったから。

通常、外交カードは莫大なお金がかかるかリスクが高いかのどちらか、またはその両方で、簡単にカードを切ることをためらうものです。ところが日本に突きつける「歴史認識カード」はコストゼロで日本を黙らせることができる。これほど都合のいい外交カードを中国はそう易々と手放すわけにはいかなかったでしょう。小泉さんは靖国参拝を続けることでこの関係を断ち切り、逆にカードを奪い返しました。

五百旗頭氏もおっしゃっているように、政治家というのは自らの歴史的役割を十分に認識していればよいのです。小泉さんは靖国参拝の理由として多少個人の信条を言い過ぎたような気もしますが、中国的リアリズムからすればそういう部分はそれほど重要ではなかったのでしょう。

小泉さんはアジア外交を悪化させたといわれますが、小泉さんにはその時代の役割があった。それがあったからこそ安倍、福田両政権を経て現在の外交関係があるわけです。
私は安倍、福田両氏の外交はあまり評価していませんが、五百旗頭氏のように考えれば、二人とも自らの歴史的役割に沿って行動していたのかもしれません。

こうしてみると、国際関係では各国の指導者である個人が果たす役割がいかに重要かということです。その時々の国内情勢や国際情勢に左右される面もありますが、その時代に誰が首相であったのかはとても運命的な出来事のように感じます。

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2008年10月27日 (月)

ムダヅモ無き改革

Mudadumo_3書 名:ムダヅモ無き改革
    (近代麻雀コミックス)
著 者:大和田 秀樹
出版者:竹書房
発行日:2008年9月19日

朝日新聞はネットではいろいろ言われているけれど、実は小泉元首相が大好きなのではないですか?いわゆるツンデレというヤツです。
朝日新聞の日曜版に載る書評欄は結構好きでいつも割りとしっかり読むのですが、26日の書評欄に「ええ~っ!」という本の紹介がありました。
南信長さんという方の「コミックガイド」というコーナーに『ムダヅモ無き改革』(大和田 秀樹〔作〕竹書房)が出ていたんです。
このコミックは知る人ぞ知る(笑)というほど人気があって、発売当初はまったく入手不能でした。私も増刷されてからやっと手に入れたくらい。政界ネタが好きな人なら絶対に読んだのではないかと思われるほど面白いんです。
しかし、天下の朝日新聞のあの格調高い書評欄にムダヅモ~の紹介とは・・・
朝日新聞は、よほど小泉さんという得がたいキャラが恋しかったのかもしれませんねぇ。
今現在アサヒ・コムには19日付の書評欄までしか出ていないので、一部紹介します。近いうちにネット上に出ると思いますので、全文は紙面かWEBでお読み下さい。

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 麻生新内閣発足後に議員引退を表明した小泉元総理。彼が推進した「聖域なき構造改革」については評価が分かれるものの、その特異なキャラクターはいまだ根強い人気を誇る。
 そんな実在の元総理とは、<あまり関係ありません>との注釈が入った本作の主人公は、第89代内閣総理大臣・小泉ジュンイチロー。ライオンヘアをなびかせた小泉総理が、アメリカ大統領やロシア大統領、北朝鮮国家主席らと国益をかけて麻雀を打つ―――という設定からしてトンデモないが、中身も相当イカれている。(中略)
 一応麻雀マンガだが麻雀知識は無用。荒唐無稽すぎるほど荒唐無稽なギャグ&アクションに笑い、全部のコマが決めカットのような熱い筆致に震撼すればいい。そして何より、文字通り命がけで戦う小泉&麻生がカッコよすぎ。私が麻生総理なら、今すぐ自分を主人公に続編を描いてくれるよう依頼する。というか、現実の政治家たちもこれぐらいの覚悟で働いてくれればいいのだが、それこそ荒唐無稽な望みだろうか。
――朝日新聞2008年10月26日(日)より引用――

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>文字通り命がけで戦う小泉&麻生がカッコよすぎ。
>私が麻生総理なら、今すぐ自分を主人公に続編を描いてくれるよう依頼する。

南信長さんってマンガ解説者らしいんですが、さすがよくわかってらっしゃる。小泉&麻生は本当に惚れ惚れするほどカッコイイ! 実際に小泉総理と麻生外相という内閣が近年あったわけで、今思うと最強の組み合わせだったかもしれないなぁと思います。
麻生総理はコミック大好きだから、この本読んでるんじゃないかな。南さんが考えているように、心の中ではひそかに『俺を主役に続編書いてくれ!』と思ってるかもね(笑)
小泉さん本人はどうなのかな?是非ご本人の感想をお聞きしたいものです。

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2008年5月14日 (水)

小泉元首相の音楽遍歴

Ongakuhenreki_2
書 名:音楽遍歴

著 者:小泉純一郎

出版社:日本経済新聞出版社

発行日:2008年5月8日

音楽への造詣が深い小泉元首相が、ご自身の音楽遍歴を披露して下さる本を出され、発売前から大変楽しみにしていました。これはゆっくり味わいながら読ませて頂こうと読み始めたところ、何と、休む間もなく一気に読み終えてしまいました。

というのも、内容が難解な音楽評論のような文章ではなく、まるで小泉さんとお食事をしながら音楽の話を聞かせてもらっているかのような、読みやすく親しみ易い文章だったからです。

小泉さんからこのように語られると、クラシックやオペラに興味の無い方でも『ちょっとメンデルスゾーンでも聞いてみるか』って気持ちになりそうです。
実際、私も小泉さんが紹介された曲のいくつかは是非聴いてみようと思いました。

私がこの本を読んで一番嬉しかったのは、小泉さんが小難しい薀蓄を語る人ではなかったこと。半世紀以上クラシック音楽と関わってきた人だというのに、
『クラシックは何回も聴かないと、良さがわからない』
『最初に聴いて即いいというのはそれほどないはずだ』
『指揮者や演奏家に対しても、あまりこだわりはない』
『自分でよいと感じた曲から、自然に入っていくのがいちばんいい』
などと言って下さるので安心します。

私の偏見かもしれませんが、クラシックに詳しい方の中にはものすごく細かいことに拘る方がいるような気がします。演奏会に行くと私が単純に楽しめたような場合でも評論家的には良く書かれていなかったりして、『私って感性がおかしいのかしら・・・』と思うこともありますから。

「アンサンブルに緻密さが足りない」とか「第2楽章のトーンをもう少し沈潜した世界へ誘導して欲しかった」なんて言われても私には何のことやら・・・

その点、小泉さんから『人によって感性は違うし、自分がいいと思えばそれでいい。それがまた楽しい』と言って頂くと嬉しくなります。小泉さんって嫌味なところが全然無くて、純粋に音楽を楽しんでいる人という感じがしました。

私と少し違うなと思う点は、小泉さんはヴァイオリンから音楽の世界に入っていったため、特にヴァイオリン曲を好きになったこと。私はピアノをやっていたせいか、鍵盤楽器が好きなんですよね。同じバッハでもオルガン曲が好きだし。そこが小泉さんと私の感性の違いです。

逆にものすごく納得してしまったのはオペラに関しての次の言葉。
『「椿姫」「イル・トロヴァトーレ」「アンドレア・シェニエ」「トゥーランドット」の四作品を観てオペラの良さがわからない、あるいは全然感動しないという人はもうオペラを観なくていい』

ここまで言い切ってしまうのもすごいな~とは思うのですが、よほど突飛な演出でもない限り嫌いにはならないと思います。小泉さんは『舞台を現代に置き換えたりする〝読み替え〟演出はあまり好きではない』とおっしゃっていますが、私も同意です。古代劇は古代劇のままが良いし、衣装も楽しみなので現代風にアレンジされているとがっかりします。

それでも、そういう演出を理解できない私の方が理解不足なのかもしれないと悩むこともあったので、小泉さんにそんな風に言ってもらえると安心します。

また、「ファルスタッフ」や「オテロ」は好きじゃないとおっしゃっていますが、ワシントン・オペラの「オテロ」観に行かれてるんですよね。あれはゲルギエフさんが指揮だったから例外かな。私も別の日に観に行ったんですけど、私はよかったと思いました。ファルスタッフも思ったより楽しめたし、小泉さんとは少し違う印象を持っています。きっと私はまだいろいろなオペラを聞き込んでいないからかもしれません。

この本を読んで小泉さんという人は、音楽に対して素直に向き合っている人なんだなという印象を持ちました。クラシックだろうと演歌だろうと分け隔てなく聴くところもなかなかできないと思いますが、構えているところが全然無くて自然体。本当に好きだから聴いているというところが素敵です。NHKの「のど自慢」をよく観ていらっしゃるというのは驚きでした。

文中にはわかりやすい注記、巻末には作曲家と主な作品の解説があり、クラシック入門書としても最適だと思います。一度読んだだけではもったいないですし、繰り返して読んで好きな曲を増やしていこうと思いました。

グルベローヴァさんのコンサート行こうかな・・・

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2008年4月29日 (火)

生き続ける言葉の魅力

Bushinonohonngo書 名:使ってみたい武士の日本語

著 者:野火 迅

出版社:草思社

発行日:2007年9月22日


この本は以前、侍言葉のエントリを書いた際に「是非読んでみたい」と思い、すぐに購入しました。ところが、他の本と平行して毎日2項目くらいしか読んでいなかったので読み終えるまで時間がかかってしまいました。しかし、一気に読まなかったせいか、毎日味わい深い武士の日本語と触れ合うことができてよかったかなと思っています。

前書きにも書いてあるのですが、この本に書かれている言葉は、たった150年ほど前まで、実際に生きた言葉として使われていたわけで、それが今では時代小説や時代劇でしか使われなくなっています。

言葉が消え、文化が消えるということは、いかにこの間の日本の歴史が激動のものであったか物語っているようです。しかし、侍言葉は決して消え去ってしまったのではなく、時代小説を架け橋として日本人の心の中に連綿として生き続けているのです。これは日本民族のDNAに刻み込まれたものなのかもしれません。

TVの時代劇で使われる侍言葉が、特別の違和感も無く受け入れられているのもその表れでしょう。いちいち辞書を引きながら見なくても、何となくニュアンスでわかってしまう。
もしも、鬼の平蔵や秋山小兵衛が目の前にいたとしても、普通に会話ができるような、そんな気持ちさえします。

昔の日本語の味わい深さは、能楽の詞章を読んでいても感じることですが、表現がストレートすぎず奥ゆかしさがあることです。
例えば「曲げて」という言葉は「何がなんでも」という意味でよく使われますが、かなり強い意味であるにもかかわらず、作法にのっとった言葉で表現するのが武士たるもののたしなみなのです。

現在はそういう余裕がなくなってしまったせいか、逆にこういった言葉に魅力を感じるのかもしれませんね。キレそうになったら、
「やあ、ちょこざいなり、ご参なれ」
なんて相手を煙に巻くのもいいかもしれません。

現在この本は品切れで入手困難なようです。

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2007年12月30日 (日)

今年最後の本

Public_diplomacy書 名:パブリック・ディプロマシー
    「世論の時代」の外交戦略

著 者:金子将史、北野 充(編著)
出版者:PHP研究所
発行日:2007年10月10日

最近パブリック・ディプロマシーという言葉をよく聞くようになったと思いませんか?
国民レベルで働きかけていく外交とかソフト・パワーといったイメージが思い浮かぶのですが、具体的に何を示すのかわかりませんでした。今回紹介する本はパブリック・ディプロマシーの基本を知るうえで有益な書です。

本書によればパブリック・ディプロマシーの定義を、「自国の対外的な利益と目的の達成に資するべく、自国のプレゼンスを高め、イメージを向上させ、自国についての理解を深めるよう、海外の個人及び組織と関係を構築し、対話を持ち、情報を発信し、交流するなどの形で関わる活動」としています。
『他国民にとっての自国の「プレゼンス(存在感)・イメージ(好感度)・理解(知識)」の向上』ということですね。

また、本書ではパブリック・ディプロマシーの担い手として政府及び政府関係機関を想定しており、政策体系上の位置づけを持たない活動は区別すべきであるという立場に立っています。
そのため、海外で活躍するイチローや松井秀樹といった有名人、また、日本のアニメ・漫画といった文化は政策体系上の位置づけを持たないということで担い手の範疇として捉えるべきではないとしています。しかし、まったく関係ないということではなく、政策として捉えられた場合は別です。2004年12月には国際文化交流、知的交流の強化のため小泉総理(当時)は「文化外交の推進に関する懇談会」を設置しましたし、近年では、麻生外相(当時)はご自身も造詣が深かったこともありますが、ポップ・カルチャーを活用した対外発信力強化を提唱しており、そういった政策のなかで個人や文化が位置づけられることはパブリック・ディプロマシーの範疇として捉えられるということです。麻生氏は「ポップ・カルチャー勉強会」開催や「アニメ文化大使」の設置、「日本マンガ大賞」創設などの提言をしました。

近年、靖国問題や従軍慰安婦問題のような歴史問題が日本の国家イメージの低下に影響を与え、中国や韓国を中心として反日感情を持つ層が広がっていることは憂慮すべきことです。歴史問題はどの国にとっても微妙な問題ではあるのですが、とりわけ日本が標的になりやすいのは、日本の国際的地位が大きな存在であるにもかかわらず、様々な面における対外発信力が極めて弱いことに原因があると思われます。現在の日本の国力と対外発信力が比例していないということですね。
本書では日本との比較という点で、アメリカ、イギリス、中国、ドイツ各国の事例を取り上げています。
なかでも注目しなければならないのは近年急速に存在感を強めつつある中国です。
中国は思想も文化も共産党による統制を受けている国家であり、パブリック・ディプロマシーという概念も他の国と同列に語ることはできませんが、中国共産党もイメージ外交の重要性は熟知しているようです。具体的な戦略としては以下の四項目です。
・経済的観点での中国市場拡大
・外交的意味での新しい関係構築
・台湾の孤立化
・世界の大国としての中国のイメージ強化
この四項目の利益を最大限にするためなら何だってやりますよ、ということですね。

現在、中国がパブリック・ディプロマシーの対象国として力を入れている国はアメリカです。本書ではアメリカに向けた様々な戦略が取り上げられていますが、その中でも一番興味深かったのは「パンダ・ディプロマシー」の話でした。
日本でもネット上では、中国がパンダを使った外交のしたたかさについて語られていますが、一般的にはパンダという動物は誰にでも受け入れられる愛らしい動物と受け止められています。中国はそのパンダを使って他の国には絶対に真似できない独特の戦略を駆使しています。

パンダを利用したアメリカへの戦略は非常に古く、1941年12月に蒋介石の妻、宋美齢と共にパンダ二頭がニューヨークにやってきたのが始まりです。これはアメリカが反日戦線構築のため、国民党に数十億ドルを提供したことへのお礼でした。パンダは米中の反日戦線構築を象徴する友情の証だったのです。またニクソン訪中という日本にとって悪夢のような「頭越し外交」をされた時にも周恩来はアメリカに二頭のパンダを贈っています。日本にもパンダは贈られていますが、これも中国の対日戦略と考えれば、愛らしいパンダもどこか不気味に見えてきます。本書には「パンダ=中国がアメリカに送ったトロイの木馬」という表現がありました。

中国の対米パブリック・ディプロマシーにはパンダのほかにも「反日」と「親ユダヤ」があり、「親ユダヤ」に関してはイスラエルのオルメルト首相を上手く利用していることが驚きでした。オルメルト首相は祖父母の関連で中国語ができる中国通だということは知りませんでした。こういった中国との関係は最大限に利用するというのが中国の基本姿勢です。

「反日」に関しても、パブリック・ディプロマシーの戦略のひとつとして考えるべきであり、決して心の底から日本を憎んでいる人たちばかりでないことには留意すべきです。
中国は言論、情報が統制された国家です。したがって日本の情報も当局から流される限定的な情報しかなく、そこに何らかの国家的な意思が組み込まれれば、いかようにでも人民の心を操作することができます。
著者は、日本に行ったことがなく、中国のマスコミから得た情報をもとに日本に対して否定的な感情を抱いていた中国人が、日本に行った結果、その対日観を劇的に改善した例が多数あると述べています。
こうした統制国家の場合、人と人の交流が最も重要であり、国を挙げて留学生などの中国人の受け入れを積極的に行うことは大きな効果があります。犯罪が増加するなど、外国人の受け入れにはネットなどでは否定的な意見が多いのですが、こうした実態を知れば、逆に彼らを受け入れることが日本や日本人を理解してもらえる近道であることがわかるのではないでしょうか。私自身、中国人、韓国人との交流の拡大には懸念のほうが強かったのですが、本書を読んで少し考えが変わりました。無制限の人的受け入れには慎重であるべきですが、まず日本や日本人を知ってもらうことが重要ですから、受身の姿勢では何も変わりません。存在感やイメージをめぐる国家間の競争は激しくなっている状況の中で日本と協力する人々を増やしていくためにも、オール・ジャパン体制で日本からの発信力を高めていく必要性があると感じました。

◆ということで、今年最後に読んだ本を紹介させていただきました。
 今年も明日一日を残すのみとなりました。
 ブログを読んで下さった皆様には心より感謝いたします。
 皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

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2007年12月21日 (金)

日本の統治構造と行政改革

政府の独立行政法人改革においては、各省庁の抵抗どころか主務大臣まで抵抗勢力となる中、渡辺行革大臣が孤軍奮闘している状態です。
都市再生機構と住宅金融支援機構については結局20日中に結論は出ず、21日に再度福田首相が渡辺大臣と協議することになりました。

以前、何かのテレビ番組で道路公団民営化に係わった東京都副知事・猪瀬直樹氏が今回の流れを見て、「独立行政法人はすべていらないが、それを廃止、改革していくには5年、10年、20年と粘り強くやっていかなくてはならない」というような趣旨の発言をしていました。

100の独立行政法人があるとしたら、今年はその中の一つだけ確実に手をつけることができれば上出来ということ。そんなことをしていたら100年かかってしまうではないか、と言われそうですが、それだけ長い期間を経て一つ一つ改革していく覚悟がないと困難な程硬直した組織になっているということです。

Touchikikou なぜこれほどまでに官僚の抵抗が強いのか、という一つの答えが「日本は議院内閣制ではなくて官僚内閣制だからだ」というところにあります。
『日本の統治構造-官僚内閣制から議院内閣制へ』飯尾 潤(中央公論社)を読むと、その歴史的背景を通じて日本の特殊な統治システムが見えてきます。なぜ政治家が指導力を発揮できないのか、その統治システムを理解するうえで非常にわかりやすく書かれています。一見して堅苦しく見える本ですが、議院内閣制を知るには最適の書だと思います。

そもそも議院内閣制は有権者の代理人である議員が権限を握っているのであって、その議員が首相を選任し、首相が国務大臣を選任し、その大臣は各省庁の官僚の補佐を得て行政事務を行います。この権限委任の連鎖によって官僚の行動を有権者が最終的にコントロールできるはずなのですが、日本においては、どうもそのあたりの基本原理が外れているためうまく機能していません。

多くの大臣は、大臣に任命された途端、有権者からの権限委任を忘れ、所轄官庁の代表者として行動するようになります。これは、各大臣が首相のためではなく各省庁や派閥(族議員)のために働いているのと同じです。議会を背景とする議院内閣制とは形式だけで、実質は官僚からなる省庁の代理人たる大臣が集まっただけの官僚内閣制といえます。

こういった組織が何十年も続いてきたため、各省庁は大臣を代理人とする拒否権集団に転化し、たとえ総理大臣であっても内閣を意のままに動かすことは難しくなります。問題がこうした政府構造にあるため、政治家個人の資質に期待してもなかなか成果が上がらないともいえますが、それでも今回の行革に関しては福田首相が強力なリーダーシップを発揮しなければ何も変わらないだろうと考えています。福田首相はどちらかというと調整型の政治家であるため不安ですが、ここは強力な指導力を発揮していただきたいと思います。

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2007年12月20日 (木)

韓国の対日政策は変えられない

韓国大統領選は19日投開票され、最大野党ハンナラ党の李明博前ソウル市長(66)の当選が確実になりました。10年ぶりの政権交代によって保守政権が誕生します。

保守政権に変わるといっても、基本的に日本に対する「反日」という政策は変わらないでしょう。これは国是といってもいいもので、日本という国が存在し続ける限り永遠に変わらない方針です。

韓国という国は本当に不可解な国で、私も彼らを理解すべくいろいろな本を読みましたが、なかなか私の疑問に答えてくれる本に出会うことがありませんでした。

Kuroda そんな中出会ったのが『〝日本離れ〟できない韓国』黒田勝弘(文春新書)です。
2006年7月に発売された本なので、すでにお読みになった方も多いと思います。

この本を読んで私の韓国に対する多くの謎が解けました。
近年、韓国に関する本は本当に沢山出版されていて、どれを選んでよいかわからないくらいですが、一冊だけ選ぶならこの本をお薦めします。

著者は四半世紀以上韓国に滞在し続けている韓国通のジャーナリストですが、韓国の魅力に引きずり込まれることなく、一定の距離感を持って韓国を見つめてきたため、非常に冷静に分析しています。

しかし、そういう態度が決して冷たいのではありません。韓国や韓国人を愛するがゆえに逆にかの地に入れ込み過ぎないこと。それが彼らと末永く付き合える秘訣だということです。

実際読んでみるとこの本にはそこかしこに韓国に対する愛があふれています。そこが単なる韓国に対する批判本と異なるところです。『韓国は反日的だが韓国人は親日的ということかもしれない』と黒田氏は言っています。日本人は、彼らのこの二つの相矛盾する感情を理解できなくても、理解しようとする努力はするべきかもしれません。

韓国はなぜ内政干渉といわれるくらい日本に注文をつけたがるのか。それは何を意味するかというと、日本にとって韓国は外国ですが、韓国にとって日本は外国ではないというのがその理由の一つです。彼らには国境という意識がないので、まるで自分達の親戚に説教するかのように振舞うことができるのです。これこそ「日本離れ」ができていないということです。

「日本は罪を償っていない」と思うことが日本に対する精神的優越感につながり韓国人にとってこのうえもない民族的快感につながるので、歴史問題が解決してしまうことは許されない。それ故「慰安婦カード」はなかなか手放せないのだという黒田氏の分析には納得しました。

韓国の次期大統領も、こういった国民の感情に逆らうことは許されないので、結局対日政策は誰が大統領になっても基本的には変わらないということなのだと思います。

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